八重山諸島のニュース・石垣島・竹富島・西表島・新城島・小浜島・鳩間島・黒島・波照間島・与那国島

エントリー

1957年の祐清丸遭難事故の慰霊碑が…

 1957年の祐清丸遭難事故の慰霊碑が除幕された(21日付本紙8面)。長年建立に向けて取り組んできた伊良皆高吉さん(87)=石垣市新川出身=は、台湾海軍に助けられ、生還した11人のひとりだ。国際連携で捜索が行われ、その生存者が慰霊碑の建立を主導した意義は少なくない▼地続きではなく、「海続き」でよその地域と結ばれているのが島だ。人の意志で切ったり、つないだりすることのできない関係のなかに祐清丸の遭難事故がある。その25年後に調印された台湾・花蓮市との盟約は、こうした積み重ねを土台に成り立っている▼当時の新聞を読むと、台湾では同年1月21日付で伊良皆さんらの救助が大々的に報じられている。一方、その翌日の本紙2面は、生存者の氏名を確認するには至っていない。警察側が米軍に対し、台湾側への照会を依頼する段階にあった▼隣にいるといっても、相手のことがよく分かるわけではない。これは今日的な状況でもある▼祐清丸事件については、八重山海難審判委員会による審判の記録を県公文書館が所蔵している。生存者たちの姿は台湾の「中央日報」が記事や3枚の写真で伝えている▼まとまった記録は与那国島の外にある。島で生じつつある記憶や記録の「空白」を慰霊碑の建立が埋めたといえるだろう。(松田良孝)

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対して株式会社八重山毎日新聞は一切の責任を負いません。

関連するニュース

  • 関連するニュースはありません。

ページ移動

PrevNext
2025年 4月
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
キーワード検索フォーム