多良間田跡に新たな説明板
- 2024年11月20日
- 芸能・文化
八重山在郷友会
市教委文化財課
八重山在多良間郷友会(仲本賢治会長)と石垣市教育委員会文化財課は15日、石垣島平久保半島にある「多良間田跡」で、同跡の誘導表示板の下に新たな説明板を取り付けた。多良間田跡は、琉球王府時代に多良間島の人々が海を渡って通い、稲作を行っていた場所とされる。仲本会長は文化財としての認知向上、多良間島と石垣島の地域間交流の発展を願った。
同課によると、田んぼ跡は、平野集落から南東約1・6㌔の場所。田んぼの由来は1752年に編さんされた「宮古島記事」に伝承としての記載がある。かつて、多良間の島民たちが平久保に船で通い米を作っていたことが記されている。多良間の人々によって工作時期は1752年よりさらに古いと考えられている。
田んぼは谷間に連なる傾斜面を利用。現在も草木を伐採すると棚状の遺構が残っている。確認できる長さは100㍍、幅40㍍の範囲。遺構は三日月状で連なり、これまで11面あることが判明。田んぼ跡の南側には山崎川と呼ばれる小川が流れている。この川の水を導水路に引いて利用したという。
さらに田んぼ跡の周辺には、多良間浜や多良間律口など多良間に関係する呼称もある。多良間田跡と周辺では、石垣島のほかの集落の住民も通って稲作をしていた時期があったという。近年まで、跡地一帯は牧場として利用されていた。
15日は草木の伐採作業の後、A2サイズの説明板を設置。心配されていたイノシシの被害はなかった。
仲本会長は「案内板のデザインが新しくなり、多良間島に関する文化財の認知度も高まったと感じる。先人たちの苦労を思うと感無量。先人たちの思いを後世まで伝承していける場所になればうれしい」と話した。
同課は、多良間田跡へのアクセスは道の悪い明石ではなく「平野回りで訪れてほしい」と呼び掛けている。
関連するニュース
- 関連するニュースはありません。