10月12日で台湾沖航空戦から80年…
- 2024年10月14日
- 不連続線
10月12日で台湾沖航空戦から80年となった。アジア太平洋戦争で台湾が本格的に攻撃を受け、鉄道や主要都市で大規模な被害が起きたのが台湾沖航空戦だ▼この日以降、台湾でも戦火が激しくなり、台湾で暮らしていた八重山出身者や、台湾沖航空戦と相前後する形で台湾に疎開した八重山たちも直接、間接に被害に遭った▼南部の新営(現・台南市新営区)では、製糖工場の宿舎で暮らしていた疎開者が死亡している。遺体を運び、葬儀を行うまでを疎開者たちで手分けして行ったそうだ。当時小学生だった八重山出身の男性は、直後は「2、3日、飯が食えなかった」と語っていた。あまりの惨状に、食事ものどを通らなかった▼「十・十」空襲の後、10月12日に台湾沖航空戦があり、同じ日に八重山でも初の本格的な空襲があった。南西諸島から台湾に至るエリアで人びとは戦争に巻き込まれていった▼戦時中に台湾の学校に通っていた日本人男性から当時のことをうかがう機会が、6日に大阪市内であった。空襲の時は、たくさんの生木に火をつけ、煙幕のつもりで煙をたいた。効き目はなかったそうだ▼当てになることとならないことが、一緒くたになっていた時代。信じてはならないことがどこに紛れ込んでいるか見分けにくいのは、今に通じることだ。(松田良孝)
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