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「162年前の宮良橋」の絵図発見の取材を…

 「162年前の宮良橋」の絵図発見(13日付1面)の取材を通して、宮良橋のたもとに立つ頌徳碑が架橋に尽力した人物を顕彰していると聞いた。宮良橋を通る度に目にするが、恥かしながら碑文を読んだことはなかった▼確認しようと現地を訪れた。碑文は石碑の裏側にある。文字がびっしり刻まれている。漢字とカタカナによる表記。しかも刻字の色が落ちている。非常に読みにくい。断念して写真に撮った▼それでも判読が難しいので、原文を紹介する資料に頼る。それによれば1935年(昭和10年)の建立。「八重山研究の父」と言われ、石垣市名誉市民の喜舎場永珣さんが記したものだった▼1658年に初めて宮良川に橋を架けた宮良長重さん、1771年の明和大津波で崩壊した宮良橋を1860年に再建・復興した仲尾次政隆さんの功績がつづられている▼「私財ヲ投ジ萬難ヲ排シ」して架橋創建に、「身ヲ犠牲ニシ家賃ヲ投シテ」架橋再建にそれぞれ尽くした、とある。頌徳碑には、両氏の優れた徳が後世の手本となり、無言の教育者として尊敬して大切にしようとの思いが込められている▼こんなすごい人物がいるのに、市民の目に触れる機会が少ないのはもったいない。説明版の設置や場所の移設など工夫ができないか、と思った。(比嘉盛友)

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