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宮古島で旧平良町の町長を務めた石原雅太郎は戦後…

 宮古島で旧平良町の町長を務めた石原雅太郎(1884―1975)は戦後、町長の職を辞して台湾へ渡った。戦後の台湾では、戦争末期に疎開した町民が取り残され、島に帰ることができないままで困窮していた。石原はその支援のために渡台した▼一連の経緯は「石原雅太郎伝」(松下仁著、1963年)や「平良市史」などに詳しい。台湾への疎開は戦時下の1944年7月に政府が決定し、石原は町長として町民向けに台湾行きを呼び掛けていた▼50年間にわたって台湾を統治していた日本は、終戦によって敗戦国となった。台湾では、官憲の立場にあった人たちを中心に日本人は報復を受けた。旧日本軍の元台湾軍参謀長も、治安の悪化を訴える電文を日本政府に送っている▼石原にしても、引き揚げについて明確な見通しを持っていたわけではなかった。渡台後に本格的な交渉を始め、引き揚げの実現にこぎつけた▼石原が戦後の行動で示したのは、いかなる結果に対しても責任を持つ覚悟である。石原にとっての「覚悟」は、誰かに呼び掛けたり、要求したりする類いのものではなかった▼戦時下において、町長の石原が国の方針に異議を唱えることはほとんど困難だったはずだ。石原はそれでも、町の代表者を務めた者として結果責任を負おうとした。(松田良孝)

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