石川県から故郷に避難 能登地震
元日の石川県能登半島地震で、石垣市大川出身でプロバスケットボールチームトレーナーの神谷政昭さん(51)は七尾市石崎町にある自宅アパートで被災した。七尾市は震度6強を観測。経験したことのない揺れだった。多くの家屋が損壊し、道路はでこぼこに。直後からの断水と余震が続く。17日にふるさとへ避難してきたが、眠れない日々を送っている。
七尾市は能登半島中央部にあり、富山湾と七尾湾に面する人口4万8000人余りのまち。神谷さんは昨年7月、チームへの就職で同市に移り住んだ。当初は近くの寮で過ごし、選手が入寮するため同年12月27日にアパートに引っ越したばかり。年末年始は帰省するつもりだったが、引っ越しの急な出費で断念していた。
1日は自室でくつろいでいた。午後4時10分ごろ、「正月なので今から飲もうかな」と思っていたとき、突き上げるような揺れに襲われた。横に縦に大きく動く。両手を壁にあてて耐えた。冷蔵庫の上にあった電子レンジが落ち、棚も倒れた。
津波警報のアラームが鳴る。避難しようと車に乗ったが、すでに渋滞。車を自宅に置き、高台にある避難先の和倉小学校に向かった。道路や歩道はひび割れていた。水道か下水かの管が地上に飛び出していた。築年数の古い木造住宅が数多く倒壊した。石川県のまとめによると、七尾市では16日現在、6775棟が被害を受けている。
避難先の小学校は人であふれていた。近くには北陸有数の和倉温泉があるため、観光客が多かった。旅館が布団や段ボールを提供してくれたが、限りがあるため子どもやお年寄りに優先配布された。暖房はあったが、寒さはしのげない。
津波注意報に変わった2日朝にはアパートに戻った。3日には金沢市にある監督の家に避難したが、プライベートを確保できないため2日後にはまたアパートへ。水と食料はあったが、緊急地震速報を伝える携帯電話の警報音が何度も鳴り、元日の恐怖がフラッシュバック。1日1~2時間しか眠れず、心身の疲れは限界に達し、14日に沖縄本島へ、17日に島へと戻ってきた。
「自分だけ逃げていいのか」と罪悪感も感じたが、「帰れるところがある人は帰ったほうがよい」と判断した。被害の状況は目に焼き付いているが、写真には収めていない。「なんか失礼というか、あまりにもひどかったので撮る気になれなかった」。
断水復旧のめどもたっておらず、七尾市には当分、住めないと思っている。1月末ごろに引っ越しの準備のため戻るが、仕事への復帰の見通しもたっておらず、この先の生活がどうなるか不安が募る。
「七尾市に知り合いもたくさんいる。だいぶ時間はかかると思うが、一日も早く復旧復興してほしい。特に断水の復旧を」と願い、「地震・津波はいつ来るか分からない。防災グッズと水は準備したほうがよい。物資はいっぱい届いているので、できれば義援金を」と呼びかける。
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