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「うちは市場の子だったよ」と団塊世代の

 「うちは市場の子だったよ」と団塊世代の女性が言った。年から年中、市場周辺、商店街が遊び場だったという。大人が行きかうところに子どもは集まるのが摂理▼娯楽施設の少ない時代。電気屋さんの前はテレビ試聴に黒山の人だかり。と思えば空き缶を前に路上に座り込んで三味線を弾く黒眼鏡の人がいた。その頃は各種選挙の打ち上げ演説も公設市場の前と相場が決まっていた。そこが最も市民が、老若男女が多く集う場所だったから▼昭和の終わりから平成にかけて10年間、その商店街に暮らした。近くにおもちゃ屋さんがあり、常に季節の音楽が鳴っていた。今の時期なら「ジングルベル」。クリスマスが過ぎれば「もういくつ寝るとお正月」。春なら桃の節句に端午の節句。合間におもちゃの猿が太鼓をたたく▼公設市場が建て替えられ、あやぱにモールも設置されたころ。地域に子どもは数多く、遊び場はアーケードだった。夏休みのラジオ体操も市場の前。学校から帰ればアーケード。通称「あやぱに」。わが家の子らは「あやぱにの子」である▼商店街の今昔。「歳末大売り出し」の真っ赤なのぼりが林立し、買い物客であふれかえる風景▼あの頃に戻れなくとも、もう一度、市民が集う場所を見たい。令和の子らにも安心してすごせる魅力的なまちなかを。(慶田盛伸)

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