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1955年9月5日付の「海南時報」に、与那国…

 1955年9月5日付の「海南時報」に、与那国町出身の高校生が船賃の値上げに反対する決議を行ったという記事が出ていた。決議は「一銭でも多く教育方面に回すことによって理想郷を築くことができる」と訴えていたという▼いわゆる「密貿易」が終わって数年が経過した時期のことである。同年の国勢調査によると、それでも町人口は5259人を数えた。現在の3倍近い▼72年の本土復帰直後の与那国を描いた作品「視えない共和国」で、著者の沢木耕太郎は「今、この島からすさまじい勢いで人々が流出しはじめている」と書いた。人数のことだけを言っているのではない。稀代のルポライターは、人々の心が国境によって閉ざされていく様を感じ取っていたのだ▼2011年策定の第4次町総合計画は、21年の目標人口として1800人を掲げる。実際には、自衛隊員とその家族による上乗せがありながら、2月の1716人までで伸び悩んだ▼同計画は町産業を5つにジャンル分けし、人口増につながる雇用創出策として泡盛の販拡などを掲げている。具体的な内容は町のホームページで読める▼1955年に決議を行ったかつての高校生たちは、今では85歳前後の大先輩たちだ。一銭でも節約して実現しようとした「理想郷」のことを聞いてみたい。(松田良孝)

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