八重山諸島のニュース・石垣島・竹富島・西表島・新城島・小浜島・鳩間島・黒島・波照間島・与那国島

エントリー

カテゴリー「不連続線」の検索結果は以下のとおりです。

2023年度の都道府県別の最低賃金がこのほど…

 2023年度の都道府県別の最低賃金がこのほど厚生労働省から発表された。全国の加重平均は1004円で、前年から43円増え、物価高騰を背景に初めて1000円台に乗った。上げ幅も過去最高。10月1日以降、順次適用されるという▼沖縄県は前年比43円増の896円となった。だが、岩手に次ぐ全国2番目に低く、最も高い東京と217円の差があり、賃金格差の是正が依然として課題として残る結果に▼賃金は、八重山でも...
本文を読む

8月を迎えると、テレビのチャンネルを高校

 8月を迎えると、テレビのチャンネルを高校野球に合わせる。「もう夏か」と実感する▼那覇支局では、たまに高校野球の取材をする。野球部員の髪の毛事情が気になるので、試合中や試合後のふとした隙にチェックしている。どうやら最近は丸刈りにしなくてもいいらしい。八重山商工やウェルネス沖縄は自由そうにみえた。はやりのフェードスタイルにする選手もいた▼髪形に関する高野連の調査がある。硬式野球部の取り決めで髪形を...
本文を読む

鎮魂の月が往く。戦争にまつわる言葉の

 鎮魂の月が往く。戦争にまつわる言葉の数々から。「2023年はどんな年?」という問いに、タレントのタモリさんは「新しい戦前」と答え、話題を呼んだ。「日本の今」という空気感をうまくすくい上げた彼らしい表現だろう。岸田大軍拡によって「新しい戦前」は具体化するのか▼時をさかのぼる。「戦争が廊下の奥に立っていた」。昭和期の俳人渡辺白泉(はくせん)の「銃後俳句」。1939年、真珠湾攻撃の2年前の作品だ▼気...
本文を読む

日本統治期の台湾で床屋になり、戦後…

 日本統治期の台湾で床屋になり、戦後、石垣島へ引き揚げた後に、あらためて理髪試験を受けた字石垣出身の石垣孫著さん(1925年生)からその合格証書を拝見したのは2007年5月のこと。試験が行われたのは1946年6月で、終戦の10カ月後だった▼この試験が行われた経緯を示す文書が残されているのか筆者は知らない。一方、この時のことかどうかはともかくとして、戦後の理髪試験では、受験する人が問題を作っていた...
本文を読む

宮崎に贈られたジャカランダ(世界三大花木

 宮崎に贈られたジャカランダ(世界三大花木のひとつ)は種から育てられ花好きの人々に配られた▼しかし大きくなっても花は咲かず、初咲きは14年後。風当たりの強い場所では折れ枯れてそのまま捨て置かれてしまうのも▼そんな中、宮崎県総合農業試験場と日南市南郷町の有志が峠にある支場周辺にジャカランダの森を構想、支場へ至る周回道路沿いに苗木を千本余植えた。それでも折れ枯れたりが多く補植につぐ補植に追われたとも...
本文を読む

尖閣列島戦時遭難事件で、魚釣島から…

 尖閣列島戦時遭難事件で、魚釣島から石垣島まで小舟をこいで救助を求めた決死隊の地元7人のうち見里清吉さん(1925―53年)だけ石垣市などから感謝状を受けていなかったことが本紙15日付1面に掲載された▼関係者の間では長年の謎だったが、野原啓三さん(91)の調査で解明されたという。そもそも野原さんは研究者ではない。ただ、関心はあった▼知人が携わった同事件の記録集「沈黙の叫び」(2006年7月3日発...
本文を読む

暑い日が続いているが、自然界ではすでに秋

 暑い日が続いているが、自然界ではすでに秋の気配が漂っている。田んぼや海岸では繁殖地のロシアやアラスカから越冬地のオーストラリアなどへ向かう秋の渡りのシギの仲間が一休み▼その中でも驚くべきはオオソリハシシギの渡り。なんと11日間、昼夜を問わず飛び無着陸でアラスカからタスマニアまでの1万3560㌔を飛んだ。GPSを使った2022年の調査で分かり、これまでの記録を約700㌔も更新した▼一方、八重山で...
本文を読む

八重山管内のタクシー運賃が改定され、

 八重山管内のタクシー運賃が改定され、14日から初乗りは30円上がって500円となった。加算料金も40円上がり100円となった。改定は7年ぶりだという。タクシーは、観光客などの利用とは別に、高齢者など交通弱者の身近な足としての位置づけもあるだけに、利用者にとって値上げは痛いところだ▼ただ、改定も燃料価格の高騰で、距離を走るタクシーにとってはコストが大幅に上昇。加えてコロナ禍でタクシー需要が減って...
本文を読む

78年前、東京の防空監視隊として終戦を

 78年前、東京の防空監視隊として終戦を迎えた。16歳だった。ラジオの玉音放送で「君が代」が流れると、本土決戦に向けた指示だと思った。雑音が多かったが「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」は聞こえた。陸軍将校が泣き出し「敗けた」と実感した。その場にいた約300人がひざまづいて泣いた▼「玉砕」という言葉は玉が砕けると書く。「沖縄は玉砕した」。全員死んだという常識があった。沖縄の人も石垣島にいる両親も死...
本文を読む

「これ食べるか?」。復帰前、昭和期の…

 「これ食べるか?」。復帰前、昭和期の台風後の風景である。今どきのようにスーパーやコンビニ、便利なものなど何一つ存在しなかったころ。ただでさえ野菜不足の夏場、親たちはどのようにしのいできたか▼相互扶助精神が生きていた。「台風の風でパパヤが折れてよ。うちで食べきれんから」と、いただくほうの負担にならない配慮があった。お返しではないがバナナをお持ち帰りいただいた▼井戸端にはいつも生えているうんつぁい...
本文を読む
キーワード検索フォーム